妹が生まれるまで、私は ”みんなの宝物” だった。

私のこと(やぴの本音・体験談)

妹に出会うまで

妹が生まれるまでの私は、親族みんなから ”待ち望まれた存在” だった。

小さい頃の記憶は曖昧な部分もあるけど、たくさんの愛情をもらっていたんだなという感覚は、今もちゃんと残っている。

私は ”待望の女の子” だった

私が生まれた頃、親戚の子どもたちは男の子ばかり。
だから、女の子の誕生を親族みんながすごく楽しみにしていたらしい。(今でも親戚の人から聞く)

生まれた後も祖母や叔母を中心に、まるで ”お姫様” のように可愛がってもらった。
自分で言うのもすごく恥ずかしいが、結構良い値段の洋服やお嬢様みたいなドレスを着ている写真が多い…。(今の私が着ている服の値段より高いと思われる…。)

写真もたくさん残っていて、まさに「女の子の初孫フィーバー」の中心だったと思う。

写真がたくさんあるのは ”最初の子” だから?

両親もきっと、私のことを大切に育ててくれていた。
今振り返っても、赤ちゃん〜幼少期の写真の量は、妹の何倍も多い。

「第一子あるある」かもしれないけど、私の成長を一つ一つ残したいという気持ちが伝わってくる。
幼い割には当時は家族旅行もよくしていて、ハワイや国内旅行の写真も今でも大切な思い出として残っている。

この点に関しては今でも妹から羨ましいと言われたりする。
(妹は社会人になるまで海外に行ったことがなかった。)

おばあちゃんと過ごす時間が増えた理由

ある日から、おばあちゃんの家に預けられる時間が増えた。
(小学生〜同じ家で住むようになり、当時は同じ市内に住んでいるが別々の家で生活していた。)

最初は理由が分からなかったけど、大きくなってから、あの時お母さんは妹を妊娠していたことに気づいた。

おばあちゃんのことは好きだたけど、やっぱり小さい私にとっては「お母さんが一番」

最初は元気に出かけて行っても、夕方には「帰りたい」と泣いていた記憶がある。
泣き疲れて眠った私を、仕事終わりにお父さんが迎えに来てくれたのを、今でもぼんやり覚えている。

おばあちゃん、泣いている私をあやすの本当に大変やったやろうな〜と今でも思う(笑)
因みに叔母からも、寂しくて泣いている私をあやすのが大変だったといまだに言われる…。

私の3年間

妹が生まれる前の私は、まさに ”みんなの宝物” だった。
もちろん今も愛されていると思うけど、あの頃の「世界の真ん中に自分がいた感じ」は、特別なものだったと思う。(あっという間の短い3年間やったなぁ…。)

そしてその特別さが、妹の誕生とともに変化していくーーそれが私の ”長女物語” の始まり。

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